
急に異動を言い渡され、雪が多い地方へ引っ越した。それまで住んでいたところにようやく馴染んできたなというタイミングだったので少し凹んだ。異動が決まったとき、私はメリダ製のロードバイクを買ったところで、友達とエンデューロレースに出たり、六甲山や妙見山でヒルクライムしたりして遊ぼうと目論んでいた。異動によりそれは難しくなった。とはいえ引っ越し先にも山はある、というか引っ越し先の方が自然豊かで、ロードバイクで遊ぶフィールド的には恵まれていそうだしまあいいか、と思っていた。
ところが引っ越してみると本当にひどく雪が降る。地元民からすれば当たり前の現象なのだろうが、南九州で18歳まで過ごした後、その後約10年を瀬戸内気候で過ごしてきた私としては、寒波が襲来するたびに50~60センチの雪が積もるというのは相当な事態だ。雪かきをしても翌朝にはそっくりそのまま元の状態に戻っているか、場合によってはひどくなっている。これでは自転車に乗るどころか、身体づくりのためジムへ車を走らせるのも大変だ。高校生の頃から雪国には不思議な憧れがあった。それは多分、雪や寒さを凌ぐために家でじっと過ごしている人々の精神性や、「雪が積もっている」という自分にとってのある種の異常事態に対する純粋な興奮や好奇心からくるものなのだろうと思う。私がジャック・デリダやロラン・バルトのように頭が切れたら、そのときの私の気持ちを脱構築したり、神話体系に組み込んだりすることができたかもしれないが、残念ながら「雪国って何かいいな、って昔から思ってたよね」という程度の確認がせいぜいだ。脱構築や神話が何なのかもよく分かっていない。そんなことを考えているうちに、今も私の車の前には確実に雪が積もっていっていることだろう。大体、この集合住宅の住人は、どうして駐車場の雪かきの際に人の車の目の前に雪を捨てるのだろうか。とてもモラルのある人間のする行動とは思えない。
だんだんと雪に嫌気がさしてくる。心の中で想像を巡らせている現象に対し、実際にフィジカルとして対面したときの幻滅させられる感じは、なんとかして拭えないものだろうか。昔に比べて感動を覚えることが少なくなっていく自分に焦ることも多い。そもそも私が感動できなくなったのは何故だろうか。年をとったからだろうか。ドーパミン中毒だからだろうか。色々考える。最近は登山が好きだ。山に登れば気分が爽快になるかもしれない。しかしこの雪だ。いくら低山とはいえ雪に覆われた山を一人の初心者が登るのはあまりに無謀ではないか。そうした具合に相変わらず逡巡しているから、一応の憧れを持っていた雪国に引っ越したからといって、別に幸福感が増した感じはしない。これぞ正に隣の芝生は青い、というやつだろうか。雪に無責任なうちは雪とそれを巡る暮らしに憧れることもできるが、雪かきは重労働だし、移動のたびにそれを強いられるのは苦痛だ。
ところで、雪はすごい。あんなこまやかな氷の結晶というべきか氷の粒というべきかは分からないが、とにかくあんな小さな存在が積もり積もって人間に対し嫌な気持ちを思い起こさせたり、都市機能を麻痺させたり、誰かを殺したりする。物理的な現象が持つパワーには瞠目させられる。私はここ数年極端なインドア生活をしていて、身体的活動をおろそかにしてきたから、物理的現象の凄さが余計に身に沁みる。勉強を始めたこともその感覚に拍車をかけている。メンタルだけでうんうん色々考えているとフィジカルの方が参ってくる。そこで運動をする。10キロとか走ってみる。脚が痛くなる。丁寧にストレッチしてみたりする。すると驚くほどよく眠れる。だからといって急にめちゃくちゃ頭が良くなったりはしないけれど、少なくとも、今の生活から運動をとりあげられたら、私は間違いなく発狂すると思う。雪はすごい、とか言っておきながらジム通いを邪魔されるのは普通にムカつく。そんなときは逆張りとかいうか天邪鬼というか、登山まではしなくても雪で覆われたちょっとした山公園(標高60メートルくらい)の階段をソレルのカリブーを履いてダッシュで登ったりする。信じられないくらい疲れる。勉強する気が起きないくらい疲れることもある。ははは。本末転倒。
少し話を前に戻そう。「実際にフィジカルとして対面したときの幻滅させられる感じ」への対処法。「フィジカルには幻滅させられてますわ!しかも年々色んな事がつまらんくなるし!」という主張をした後に「物理的現象はすごい」などとダブスタもいいとこな記事になってしまった。書いていて気付いたが、「実際にフィジカルとして対面したときの幻滅させられる感じ」に関して私自信が陥穽にはまっていただけなのかもしれない。その幻滅が訪れるとき、結局私は実際目の前に現れた物理的なモノではなくて、思い描いてきた幻想を見ているのだ。だから「幻滅」っていうんですね。言葉っておもしろ~い。幻滅が起こるとき、悪さをしているのは物理そのものではなく、精神に囚われている自分自身なのだ。素晴らしいはずの景色を見たときにフィルターがかかっているように思えたら、話は簡単で、フィルターを外してしまえばいい。その景色を見る前に「きっとこんなに素晴らしいだろう」と思い描いていた幻想はどこかに捨ててしまって、ただ目の前の景色に集中すればいいのだろう。雪かきをしているときは「クソ真面目に働いてたら少しは楽な部署に異動させてくれるだろうと思っていたらこんな雪まみれの環境に送り込んで、挙げ句の果てに2年後には東京に行かせられるとか、職場は俺を一体どうしたいのだろうか」とかぶつくさ文句を垂れながらやるのではなくて、雪かきそのものに集中すればいいのだ。ロシアのフォルマリストみたいに。アスファルトに接している層をシャベルで剥がすようにするとロールアイスみたいになって面白いね、とか考えながらやった方が精神的に良い。
なんかもうえらいどんでん返しなんだけども、そもそも最近の私は運動習慣を身につけてそのへんの心構えは徐々に獲得しつつあったはずだ。引っ越し報告ついでに雪国での暮らしを紹介しようと思ったら話題が精神的な方向に引きずられすぎて、未だに幻滅の悪癖を現在進行形で抱え続けている前提で書き進めてしまった。書いていて気分が悪くなった。もう私はそのステージにはいないのに。しかも久しぶりにブログを書くと頭の中がとっちらかる。引っ越し先でロードバイクを漕いでいると「フランドル地方」って言葉が頭に浮かぶんですよね、Wikipediaで外国料理の記事を読むときに見かける写真って何であんなに魅力的なんでしょうね、幻想は幻想で突き詰めて創作の苗にしてしまえばいいじゃないか、こんなに頭がとっちらかるのは異動してきてから仕事の密度がバカみたいに上がってしまって頭が飽和状態になるからでしょうか、だから私は身体を動かしたくなるんでしょうか、そういえば最近リコーのGRⅢxHDFの抽選に当選しましてね、みたいな感じで脳内に情報が円環をなしていく。私はADHDなんだろうか。何だか腹が立ってきた。ブログを書くと落ち込んで、腹が立つらしい。最悪じゃん。
皆さん!ブログを書いては、いけない!