カメラ遍歴とGRⅢxHDF

 なんとなくずっと欲しかったカメラを買った。RICOH・GRⅢxHDF。運良く抽選に当たったのだ。まずは私のカメラ遍歴について話をさせてほしい。

 初めてちゃんとしたカメラを手に入れたのは大学生のときで、当時の時点で5年くらい型落ちのNikon・D5200を5万円くらいで買った。当時は靴や服に執着していたから物を撮ることが多かった。このブログで紹介している服や靴の写真はほとんどD5200で撮っている。キットレンズ、35mm単焦点、タムキュー、5000円で叩き売られていたおもちゃみたいな望遠など、レンズも何本かは買い足した。

 その後、フィルムカメラに手を出したくなって、ドイツ製のRollei・35TEを買った。このカメラはとにかくファインダーの質感が良くて、使っていて楽しかった。操作も独特だったが、それよりもこの世にピントを合わせる機能がないカメラが存在するのかという点に驚いた。絞りや焦点距離については、Rolleiから学んだところが大きい。しかしながら、フィルムを巻き上げるための歯車が回らなくなって故障してしまい、2年かそこらで使うことがなくなってしまった。

 その次にNikon・35tiを買った。動作に問題のない美品を6万円くらいで買った。Rolleiの不便な点を払拭したようなカメラで、使い勝手が良かった。初心者にありがちなフィルムにまつわる事故リスクが大幅に減り、精神衛生に優しいカメラだった。快適すぎて面白みがないくらいだった。欠点はコンパクトサイズとはいえ重たかったことだ。

 カメラそのものには重い以外の不満は特になかったが、致命的なデメリットがあった。フィルムのランニングコストが高すぎる。フジカラープレミアム400の36枚撮りが1本で確か2700円ほど(今amazonを見てみたら36枚撮り3本入りで9800円で売られていた。いくらなんでも高すぎる)で、そこに現像代とCDへのデータ取り込み代1500円がプラスされる。たった36枚の写真をデジタルデータとして確保するのに4000円以上もかかるのだ。1日1枚だけ撮ったとしても約4万円かかる計算になる。安いジムの年会費や自動車保険の年間保険料くらいはまかなえそうなものだ。さらに言えばフィルムは物体として存在するので保管のコストも馬鹿にならない。自家現像なんて面倒すぎるし、できる環境を揃えたとしてもコストに占めるフィルム自体の価額が高すぎて、対したコスト削減にならない。フィルムカメラを触っていた約2年間でフィルムを60本くらいは消費したから、合計25万円くらいはフィルム+現像代に消えたことになる。怖っ。

 そして私は勤めていた会社を辞め、半年ほど無職になったのでありえないくらい金欠だった。カメラ趣味なぞは真っ先に切り捨てることになった。使うことができないカメラを置いておく理由もないので、Rolleiも35tiも売り飛ばした。貧乏なくせに高い靴や服を写真に撮るのもアホらしくなり、ついでにD5200とレンズも全て売り払った。

 売って得た金は、たしか国民年金の支払い等に消えた。切ないね。

 

 過去編おわり。

 

 現在は当時とライフスタイルが結構変わった。身体を動かすようになった。根暗なのは変えられないので、専ら一人で出来るランニングやサイクリング、登山などの活動ではあるのだが。そうすると自然に触れる機会が増える。河川敷に寝転んでケヤキの木を眺めたりするのが好きになった。人はフラクタル構造を見ると精神的に落ち着くという。街中でシークエンスを見つけるとその先に行ってみたくなるともいう。私が外を出歩いているときに主に考えているのはフラクタルとシークエンスを発見することだ。そういうものをみつけたときに記録を残したくなった。それらに出会えたときにスマホで写真を撮るのはなんというか、興ざめするので避けたかった。インターネットデトックスのために運動をしているという側面もあったりするわけで。GRはそんなシチュエーションにうってつけだと思ったのだ。小さくて軽く、当たり前だがフィルム代もかからない。単焦点のコンデジなので何かと迷うことが少ないのもいい。私は単焦点が好きだ。基本は無口だが、偶に口を開くと愉快な話を短い時間で披露し、去って行く人がいるが、単焦点はそんな人にどこか似ている。こざっぱりしていて好きなのだ。

 

 今日は民家の脇に小さな階段を見つけた。

 

 進んでみると、更に竹藪へ続く階段といくつかの墓が現れた。奥の方から沈丁花の香りがする。夜ならこの先に進む気は全くしなかったろうが、吸い込まれるように歩みを進めていった。

 

 階段を登ると獣道じみた様相を呈してきた。カネコアヤノの曲を聴きながら歩いた。

洗濯物をいれなくちゃ
未読の漫画を読まなくちゃ
恋しい日々を抱きしめて
花瓶に花を刺さなくちゃ

 素敵な歌詞だ。ありのままの自分を肯定してくれる感じが良い。私も花瓶と花を買おうかな、と思いながら荒れた竹藪を進んでいった。熊でも出たらどうしよう。えらいことだ。

 

 竹藪を抜けるとぽっかりとスペースが空いており、30ほどの墓があった。道が道なので、ここに墓参りをするのは大変そうだなと思った。きちんと手入れをされている墓もあれば、荒れた墓もあった。墓を直接撮るのは何だかはばかられたから、周りを取り囲んでいる竹林を撮った。墓もあるし、整備されているとはとてもいえない竹藪だが、別に嫌な雰囲気はなく、むしろちょっと神秘的ですらあった。鎌倉の寺院の中にあった墓のことを思い出した。

 GRと緑の相性は良いのだろうか? よく分からない。コンクリートほど相性が良いとは思えない。田舎に引っ越してしまったので、必然的に被写体は緑ばかりになってしまう。特に気に入った写真が撮れたわけでもないし、良く撮れているとも思わない。けれど、ひとまず誰かに見てほしいとは思うし(だからこうして記事を書いている)、頭で文章を考えて書くきっかけにもなるし、外出が楽しくなる。これだけで十分良いカメラだと思う。個人的に写真というのは何かのついでに撮るくらいが一番良い。ストラップで肩に一眼レフをぶら下げて歩くのは疲れるし、「良い写真を撮らなきゃ」という変な使命感が湧いてきて精神的にも摩耗する。いうなれば釣りみたいなものだ。良い写真という釣果がなければ落ち込むしストレスにもなる。その点、GRで撮ることはランニングに似ている。走ればそれだけで楽しいし、何らかの成果を求める必要もない。

 GRで撮るときに考えていることを強いて挙げるとすれば、「何が優れているか分からないが何故かずっと見ていられる写真」が撮りたいということだろうか。実はすごく難易度の高いことのようにも思えるが、私自身がインターネットでときたまそういう写真に出会うから、私が撮った写真で誰かがそんな気分になるとしたら、それは中々に嬉しいことだ。

 あと、GRのAFは結構情けないので注意。

 

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